「ざつぼく」といわれるくらいで、一昔前までは庭に植えるなんて考えられなかった木でした。
梅や桜、椿のように花が美しいわけでもなく、松のように格式があるわけでも、モミジのように雅なわけでもない。庭にわざわざ植えるような木ではない。とされていました。
そもそも雑木は、石油や電気、ガスがなかった時代に、主燃料であった薪にされる木でした。お風呂を沸かしたり、かまどに火を起こしたり、明かりにしたり。その薪を生産するために作られた林が雑木林といわれていました。
自然に囲まれた環境に住む人から見れば、そこら辺にあたりまえに生えてる木です。立派な庭を作るのに、そんななんでもない木は使えない。そう思うのは、わからなくもないなと思います。
特に目立った特徴があるわけでもなく、あたりまえのように春に新芽をだし、夏には繁り、秋には葉が色づき実をつけ、冬には落葉する。
そのあたりまえの景色が、都市化が進むとともに普段の生活から失われていき、都市部に住む人たちは自然の安らぎを求めるようになります。そこで、雑木林の魅力が見直されるようになりました。
春の新芽のみずみずしさ、夏の木陰の心地よさ、実りの秋の色づき、全てのいきものが眠る静かな冬。目に見える美しさというより、体で感じる自然の豊かさが雑木林にはありました。
なんでもない植物の魅力を庭の要素として取り入れていくことで、雑木は庭に使われていくようになりました。
子どもの頃に誰もが経験するどんぐり拾いは、薪の材料にされていたクヌギやコナラなどのブナ科の植物の実です。多くの人が幼い時に遊んだ記憶のある自然の景色の中にあった木こそが、雑木であり、なんでもないようで、実は豊かな景色をたくさん持っている木でもあります。
雑木の庭は、年を重ねるごとに普段気づくことがなかった新しい自然の景色を見つけることができる庭です。